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有識者考

(公財)公益法人協会 副理事長 鈴木 勝治
1.最近、政府の各種審議会や調査会が、YouTube等により公開されるようになった。
 従前の全く公開しないものや、(ときには手を入れた)議事録の公開にとどまるもの、さらにはその概要のみを公開するものに比べれば、情報公開として革命的な進歩であり、やっと日本もここまできたかとの感が一入である。
 いうまでもなく、情報公開を徹底的に行うことが政治でいえば民主主義の基本であり、営利・非営利を問わず各種の組織体のガバナンス強化の観点からみると、そのためのどんな制度改革(組織いじり)より勝る、というのが現在の常識となっている。しかしながら、この公開が徹底されることにより、それらの会合に参加している委員の先生方の実態も明らかに分かるようになってしまっている。
 その結果、審議会や調査会の内容自体が、一部の委員の信じられない常識・知識の欠落や党派性、さらには属する団体への利益誘導等のための意見ではないかと疑われ、会議のやり直しが迫られるものも出てきている状況となっている。例えていうならば、パンドラの箱が開いたような状況といえようか。

2.このような委員の先生方には、三つのランクがあると巷間でいわれている。
 (筆者は全く在野の人間であり、そのような職掌にあったわけでもないので、以下は今までの経験や識者からの伝聞に基づいていることから、正確性に欠けるとともに、誤りや偏見も混じっていることを了とされたい。)
 まず、第一は国家行政組織法第3条に基づく、いわゆる3条委員会の委員の方々であり、「識見が高い者」(公害等調整委員会設置法第7条)や「法律または社会に関する学識経験を有する者」(公安審査委員会設置法第5条)と法律上規定されている。
 第二は、いわゆる8条委員会であり、国家行政組織法では「学識経験を有する者」により、合議制の機関を置くことができるとされている(同法第8条)。公益認定等委員会もこれにあたるが、公益認定法第35条では「法律、会計又は公益法人に係る活動に関して優れた識見を有する者」のうちから任命されることとなっている。ちなみに、以上の二つは衆参両議院の同意人事である。
 第三に、法律等に必ずしも基づかず、個々の省庁において設置される委員会に参画する者である。その資格等について、必ずしも十分な法律や規則等の規定がない、いわゆる「有識者」と言われている人々である。

3.問題は、この「有識者」と呼ばれる人々である。
 法律や規則の定義がないことが多いため、各種の国語辞典をみてみると、「有識者」は、見出しとして出ていないことが多い。
 広く使われている中辞典である『広辞苑』(岩波書店)では、「有識」の欄の②において「学問があり、見識が高いこと。「-者」」と定義されており、他の中小辞典も大同小異である。大辞典では『日本語大辞典』(講談社)において、見出しとして「有識者」があり「広く物事を知っている人。学問・識見のある人。」と定義されており、用例としては矢野龍渓の経国美談の一文が引用されている。
 これらの定義によれば、「有識者」は上記2の第一、第二の定義とほぼ同じようにみられる。しかしながら、この第一、第二の定義では、それぞれの分野についての深い学識、ないしは優れた識見を持っている人であることが、法律や規則の定義上はっきりしているが、第三の「有識者」については、そのことが明記されていないことが多いうえ、誠に失礼ながら上記1のYouTube等での公開映像をつぶさに見ると、そうは思えない人も存在するようにみえる。
 そこで小辞典ながらシャープな語釈で定評のある『新明解国語辞典』(三省堂)をみると、「有識者」の定義には「それぞれの専門についての知識が広いうえに経験も深く、大局的な判断ができる点で社会の指導的地位にある人。識者」とある。一般の辞書の「識者」の定義に、後半の社会の指導的な地位にあることがプラスされている。
 成程この定義が妥当ないしは正しいとすれば、仮に知識はあまり深くなくとも、この後半部分の定義によって選ばれる有識者もあることになる可能性がある。
  
4.このような語義の探索は、ある意味些末なことあり、立派な有識者がむしろ沢山おられることから、あまり生産的な作業ではないであろう。
 しかし、調査会等の模様がライブで公開されるようになった現在、少数であっても「識者」にふさわしくない人が調査会等に含まれている場合は、会全体の存在価値やその提言内容自体が疑われるようになる恐れがある。
 当局におかれては、(1)「有識者」の人選にこれまで以上に留意し、仮に「識者」でなくとも十分な良識・常識を持っている「有識者」を選任すること、(2)他方では、調査会等の有識者の発言がストレートに一般に公表されると、その影響が大きいことから、ライブによる公表自体を控えるといった本末転倒となることがないようにすること、(3)その発言が優等生的なものになることのないよう、斬新な意見や健全な異論を展開できる人の選任を、切に要望する。
 パンドラの箱が開いて色々なものが飛び出したが、最後にかすかに希望が残ったというギリシア神話を信じたいものである。