(公財)セゾン文化財団 理事長 片山 正夫
去る3月19日、日銀は「マイナス金利」の解除を決定した。
これは日銀が昨今の物価上昇を一時的なものではなく、当面は定着したものとして認めたということである。
つまり1990年代から続いてきたデフレが、ついに終息した可能性があるということだ。
だとすれば多くの公益法人の経営者にとって、今は(公益法人経営者として)初めて経験するインフレ局面だといえる。
インフレは日本経済にとっては間違いなくプラスだが、公益法人にとっては必ずしもそうではない。
とくに今回のインフレには、少し注意が必要であるように思う。二つの側面からそれを考えてみたい。
第一は、助成財団など基金を持つ法人の資産管理についてである。
インフレ下では現金の価値が減価するので、放っておけば財産を毀損する。
ただ通常であれば金利も上昇するので、お金の目減り分は相当程度オフセットされる。
直近でインフレ率が3%を超えたのは1990年から91年にかけてだが、この時の長期金利は高いところで7%台の後半まであった。
こうした時、金利収入を全部気前よく使うのではなく、金利の上昇による増収分を基金に繰り入れるなどすれば、ダメージは限定的である。
だが今回のインフレ下における問題は、日本だけ金利が上がらない(というか、上げられない)環境にあるということだ。
「マイナス金利解除」といっても、たかだか短期金利が0.1ポイント程度上がるに過ぎない。
このため、財産を目減りさせないためには外貨に換えて運用するか、もしくは株式や不動産などの資産に移すしかない。
実際私の財団などでは、すでに日本円で保有しているのは財産全体の3割程度しかなく、株式と不動産(実際にはREIT)が財産の過半を占めている。
おしなべて日本の財団は運用の“リスク”に臆病であることが多い。
デフレ下ではそれも“結果オーライ”であったろうが、インフレ下ではそうはいかない。
現金価値の減価は直接目に見えるものでないだけに、これを“リスク”として実感しにくいのも厄介といえば厄介だ。
理事会では法人の財産価値をどう保全していくかについて、ぜひこの機会に長期的視点から議論してほしいと思う。
さてもう一点は、スタッフの賃金についてである。
連合によると今年の春闘における平均賃上げ率は5.25%に達したという。
昨年の3.76%をさらに大きく上回る水準だ。
大企業中心の数字とはいえ、これはもう数年前には想像もできなかった事態といえる。
公務員給与もこの先、民間企業と歩調を合わせることになるだろうから、ただでさえ開きのある非営利セクターの給与水準との差が一層開くことは確実だ。
そしてこのトレンドは、この先もしばらくは続くだろうと予測されている。
企業セクターにおいては現在、原価が値上がりしても、それを売価に転嫁しやすい空気になっている。
しかし、公益法人やNPO法人にとって、提供する社会サービスの価格を上げることは一般企業ほど容易ではない。
会費等についても然りである。当然、人件費に廻せるお金は増えず、5%超の賃上げなど夢のまた夢ということになる。
もちろん過去のインフレ局面でも状況は同様であっただろう。
だだ、非営利セクターがなぜそれを乗り越えられてきたかというと、大義のある仕事、やりがいのある仕事ができるのであれば給与の安さには目をつぶってくれる献身的な働き手がいたからだ。
そういう人々の気持ちに甘えてきてしまったのが今の非営利セクターだ、と言っては言い過ぎだろうか。
しかし今、事態は明らかに変わってきている。
かつては少々待遇が悪くても若い人がたくさん来たのに、最近はそれでは全く集まらないという話を、芸術文化の世界でもよく聞くようになった。
統計調査をみても、「収入」より「やりがい」を重視するというのは、すでに40代以降の働き手だけだ。
「やりがいが一番」と言う若者は今も多数いるのは事実だが、「でも、もちろんそれは収入がともなっての話」と付け加える時代になっているのだ。
そういう彼/彼女らが、このさき実質賃金が下降を続ける可能性が高いような職場を、果たして選択するだろうか。
私は正直なところ、悲観的にならざるを得ない。
ここまであえて「インフレ局面」だと繰り返してきたが、このインフレが本当に持続力をともなったものかどうかは誰にもわからない。
しかし、長いデフレによって隠されてきた課題に、公益法人の経営者はいよいよ向き合う時が来ているように思われる。