(公財)公益法人協会 副理事長 鈴木 勝治
1.ESG(Environment、Social、(Corporate)Governance)とSDG(Sustainable Development Goals)については、毎日の新聞にその記事やセミナーの宣伝等が掲載され、いわば猖獗を極めている。
正直に告白すると私はSDGsが苦手であり、いまだにその意味や主張に得心がいっていない。
その理由は色々あるが、
ア.17の目標の立て方の妥当性と必然性ならびに論理性がよく分からないこと(注1)、
イ.その目標を開発途上国のみならず地球的規模で同時にかつ平等に達成すべきと主張していること(注2)、
ウ.しかもその目標の達成を2030年までと切っているが、それの達成ができないときの責任の所在や結果責任はどうなるのか等(注3)がよく分からないことが主なものである。
それぞれの理由に対しては、国連大学の沖大幹上級副学長の考えを(注1)~(注3)で示したが、最後の(注3)のSDGsの結果責任については、各法人(各自)が理解して、自分達のやり方でやればよいといった緩い感じの対応でよいというのが、国際的な理解であるとすれば、日本人的な真面目に柳眉を逆立て目標を達するために頑張るというビヘイビアとは合わない気がするし、そのいい加減さが私の苦手意識の根源であると思う。
2.これに対し、ESG投資については、私が説明するまでもなく、2006年4月にアナン国連事務総長(当時)の提唱により生まれたものであり、同じ国連の立てた目的であっても、キチンとした対応をとることが期待されている。
もちろん、2015年に、後から作られた上記のSDGsの中にその内容もある意味では包摂されているが、(たとえば、17の目標のうちの、7のクリーン・エネルギー、13の気候、1の貧困、2の飢餓、3の健康と福祉、4の教育、6の安全と水等)、ESG投資においては、責任投資原則(PRI;Principles for Responsible Investment)の採用に象徴されるように、規律をもった責任ある行動が要請されている点が大きく違うといえよう。
このあたりについて高崎経済大学学長の水口剛氏※は、ヨーロッパがESG投資に熱心である理由として、「その背景にあるのは、危機感ではないだろうか。このままでは今の社会は持たないという危機感。経済的不平等が拡大することで資本主義に対する信頼が揺らぐ。地球の温暖化に象徴されるように、経済が地球の環境容量の限界を超えてしまう。そういう危機感がESG投資を根底で動かしているようにみえる。」と表現している(『ESG投資―新しい資本主義のかたち』(日本経済新聞出版、2017年9月)1・2頁)。
※なお、水口学長のESG投資関連の講演会「公益法人とESG投資」を、
当協会主催により、10月15日(金)13時半から、東京・一ツ橋の
如水会館で開催します。
多くの方々、とくに本コラムの読者の皆様のご参加をお待ちしています。
3.こうしたESGの状況の中、我々公益法人はどう対応すべきであろうか。
公益法人においては、現在下記の二つの立場がある。
(1)公益目的事業遂行のためには、一定の資産が必要であるが、これらの資産の
運用を行い、その収益等により事業を行う立場。従前、この立場においては、
資産の安全性ならびに収益の計上のため安定した資産運用が要請されていた。
(2)他方、公益目的事業として、公益認定法第2条の別表における公益目的として
掲げられている、
ア.地球環境の保全、自然環境の保護整備を目的とする事業(第16号等の環境関連)、
イ.障害者・生活困窮者等の支援を目的とする事業(第3号)等の社会関連、
ウ.事故または災害防止を目的とする事業(第11号)等
がESG関連としてあり、それを実行する立場である。
4.このように公益法人は資産の安全・安定運用という立場と公益目的事業の遂行という両面の立場から、ESG投資に関連があるが、各種の理由からESG投資への関心は必ずしも高くなかったのが実情である。
しかし、欧米のESG投資の現状は上記2の通りであり、最近の地球温暖化を起因とする異常気象を身をもって体験すると、この問題は公益法人界としても放っておけない喫緊の課題となっていると思われる。
こうした考えは、私個人の考えにとどまるものではなく、公益法人界の各所からも上がっている。
これを受けて、上記2の※でお知らせした当協会主催の講演会の開催に至ったものである。
これを契機として、我々公益法人界も、法人としてのみならず、所属する個人としても、この問題に意識的に関与していきたいと考えている。
(注1)『SDGsの基礎』(学校法人先端教育機構、2018年9月、145頁)で、
国連大学沖大幹上級副学長は、当初8つの目標であったMDGs
(ミレニアム開発目標、2000年)に比べて、目標が増加したのは、
各国連機関や国際機関が自分の組織の存在意義にも関わるとして、
運動した結果であると述べている。
(筆者注:要は、国際機関においても、各セクターの縄張りや縦割りで政策が
決められた結果のようである。)
(注2)『持続可能な地球社会をめざして』(国際書院、2018年9月)における
沖大幹氏の「はじめに」(8・9頁)では、「誰も置きざりにしない
(no one will be left behind)」が、SDGsが国連で採択された際の
スローガンであり、『誰一人文句が言えない』野心的な目標設定となっている」
としている。
(注3)前掲書『SDGsの基礎』第6章3.「なぜ企業はSDGsに取り組むのか」
(171頁)で沖大幹氏は、「社会貢献すると同時に自らの利益にもなるような規則
や枠組みを『誰一人文句の言えない』大義名分によって合意に持ち込むのが
国際的なルール作りの極意である。」、そして「それを理解して国際的な枠組に
従おうという、『観客』的な参画の仕方ではなく、積極的にSDGsの枠組みを
利用し、国際的な場で活躍し、必要に応じて変えていく『選手』にならないと、
せっかくのSDGsも徒労感をもたらす負担以外の何物にもならないであろう」
としている。