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非営利団体の「成長」を考える

(公財)セゾン文化財団 理事長 片山 正夫

私は芸術や文化の分野で、これまで多くの助成金や補助金の配分にかかわってきた。
そこでいつも感じるのは、応募してくる非営利団体の多くが、小規模で零細であるということだ。
最初はそれでも良いかもしれない。
だが、10年、20年と良い活動をしてきた団体でも、ずっとそのままの状態なのだ。

だから、行政が少し大きめの額の補助金を出そうとしても、それを受けられるだけのキャパシティをもった非営利団体が少ないため、結果として力のある興行会社やプロデュース会社などに結構な額が流れて行くことにもなる。

もちろん、小規模であっても優れた活動をおこなうことは可能だし、実際にそうした団体は多い。
だからすべての団体が規模の拡大を目指す必要はないとは思う。
ただ、規模を大きくしようとしてもできない環境や要因があるのだとすれば、やはりそれは問題だ。
なぜなら、非営利団体にとって規模を拡大させることの意味は、経営の安定という側面だけでなく、公益的な面でもとても大きいからだ。

団体には、仮に何もしなくても維持管理するだけでかかるコストがある。
公益法人ともなると、負担すべき事務コストはばかにならない。
しかし全体の規模を大きくすることで、そうしたコストは相対的に小さくなる。
理屈から言えば、法人の規模が2倍に成長すれば、生み出す公益の総和は2倍よりかなり大きくなるはずだ。

加えて重要なのは、活動の「質」に与えるインパクトだろう。
団体が一定規模に成長すれば、専門性を持ったスタッフを雇用できる。
さらに大きくなれば複数雇用できる。
そのことによって、企画力が向上し、事業の費用対効果が大きく高まることが期待できる。

スケールがメリットを生むのは、何も営利企業には限らないのだ。
そして、そのメリットが生み出す価値は、営利企業の場合なら出資者に帰属するが、非営利団体では社会に帰属するのである。
非営利団体の規模の成長が阻害されているとすれば、それはわれわれが想像する以上に、社会の「見えない損失」となっている可能性がある。

では非営利団体の成長の原資はどこから得られるのか? 
これは非常に悩ましい問題だ。公益法人の場合、本業(=公益目的事業)で利益を上げ、あるいはそれを蓄積することは、これまで良しとされてこなかった。
現在この考え方は見直しが検討されているとはいえ、過大な利益を公益的な事業に期待すべきでないことには変わりがないだろう。

ただそうかといって収益事業にあまり熱を入れすぎると、そちらのほうに経営リソースが喰われかねない。
そうなれば公益法人としては本末転倒だ。
収益事業は公益目的事業の損失を補填する手段ぐらいに考えておいた方がよさそうだ。

では補助金や助成金はどうか。
これらは多くの場合、事業の費用として使ってしまわなくてはならないお金だ。
だから右から左へ流れて行くだけであとには残らない。
つまりこれも成長の原資としては期待できない。

そこで最後に残るのが民間寄附だ。
とくに個人からの寄附は、一見したところ自由度の高いお金のようにも思える。
だが、こちらもなかなか話は簡単ではない。

だいぶ前になるが、米国の地域劇場の経営者たちと懇談の場を持ったことがある。
民間非営利団体であるかれらの収入源としては、もちろん事業収入や公的助成もあるが、地域の市民が払ってくれる会費や寄附が少なからぬ比率を占めているという。
私はさすがに寄附大国だと感心し、日本でなかなかそうはいかないので羨ましいと言うと、もちろんそれはそれで有難いのだが…と、どうも歯切れが悪い。
何か問題でもあるのかと訊くと、会費や寄附をもらってしまうと、会員や寄附者が望むことをやり続けねばならないから、という。
つまり、夏になれば『真夏の夜の夢』、冬には『クリスマスキャロル』 や『くるみ割り人形』と言った具合に、いわゆる定番ばかりを期待される。
だから芸術的な挑戦がなかなかできないというのだ。

日本からみれば贅沢な悩みにも見えるが、ではどうしたいのかと重ねて問うと、endowment(基金)をどんどん大きくしていきたいという。
それによりまず組織を成長させ経営の安定を図りたいのだ、と。
確かに調べてみると、米国では、非営利の文化機関は何十年もの月日をかけて、多いところでは数百億円規模のendowmentを造成し、その運用益で経費の半分ほどを賄ったりしている。

そして見落としてはならないのは、その運用益が、かれらが革新的なプログラムを展開する際の貴重な財源にもなっているという点だ。
これは見方によっては、endowmentの存在こそが活動の自由を保障し、本当の意味でのミッションの達成を可能にしているともいえる。

もともとは寄附金であったものが、基金化することで裁量のきく自己資金に変換される。
それによってリスクに対する許容範囲が広がり、“ひも付き”の助成金や寄附金ではできないチャレンジが可能になる―私はこうした事実を知って、「財団」というものが存在する根源的理由もここにあるのかもしれない、とさえ感じたほどだ。

このように考えると、団体の規模を成長させ経営を安定させる意味でも、ほんらい非営利団体に期待されるべき革新性を担保する意味でも、基金部分への寄附(あるいは基金に充当可能な寄附)がいかに重要かがわかる。
わが国でも寄附文化の醸成が叫ばれているが、活動プログラムへの支援だけでなく、組織を育てるこうした支援の大切さを、寄附者にもっと知ってもらうことが必要ではないか。



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