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「託す」、「寄り添う」こと

(公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長 秋山 孝二

今年6月、私は「北海道経済同友会」の副代表幹事に就任しました。
この28年間、幹事を務めていたので今更という気もしますが、経団連等の経済団体とは違って、経営者個人の資格で入会するこの全国的コラボ団体で活動を続けてきました。
私は活動の濃淡はありましたが、この間6回、所属・役職変更を経て異なった視座から会員を続ける中、一貫していたのは地元・北海道への地域愛とでも言えましょうか。
そして、地域経済における経営者マインドの変遷も具に観ており、一例としては、経営者自身が最近は人手不足といった自社の直面する問題だけでなく、地域課題解決のテーマにも強い関心を抱き始めていることです。

経済団体における私の経営者ロールモデルが、今は亡き(公社)経済同友会の終身幹事だった品川正治さんです。
学生服から帝国陸軍服へ、戦後は背広にと変化はしても、その人生の基軸は中国最前線の戦場経験から、経済人として命の尊厳、反戦平和と社会正義の揺るぎない信念でした。
その昔の現役時代、企業トップとして札幌の私どもの本社にもお越しになり、その後リタイアして経済同友会のご意見番として永く羅針盤の様な存在、原理原則からブレることなく、時の政権におもねることもなく、凛とした姿から私は人間として多くを学びました。

今年5月1日に、熊本県水俣市で開催された水俣病被害者・支援団体と環境相の懇談で、被害者側の発言中に環境省職員がマイクの音を切った事件、私は時を経た今も被害者の方々の表情を忘れることができません。
戦後、高度経済成長の時代を経て、1971(昭和46)年に公害克服を目指して環境庁が設立した経緯があります。
そしてこの日は68年前に水俣病が公式確認された日、にもかかわらずです。
この間に企業・行政は一体何を学び、克服できたのでしょうか。

日々「生命科学」を名乗る私たちの財団活動上、中間支援、助成財団として地域に根差し、常に「託す」思いで寄り添っていくことを肝に銘じています。
資金的に応援するだけでなく、研究者・市民の活動にエールを送り続ける、大変難しい立ち位置ですが、そんな姿勢です。
採択は関係性構築の始まりに過ぎず、時を重ねてその後の研究・活動を振り返り、お互いにコラボする機会の創設にも注力し始めています。
設立準備からほぼ40年、この財団活動に携わりながら、「心に寄り添う」姿勢は実に微妙で難しいと感じています。

子供・孫たちの世代に、多大な国の負債、放射線汚染物質を付け回さない努力、それは戦後日本を生きた我々の世代の責任なのだと思います。
「個人の尊厳」、「自由」と言っていたものはただの安っぽい「私生活主義」に過ぎなかったのではないか、そば打ちと旅行三昧の定年後の生活でいいのか、1960年後半・70年代に主張したメッセージを今どう総括するのか、与えられ恵まれた環境をただ消費してきた世代等、若い世代からの厳しい問いかけにリアルな現場で応えなければなりません。



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