(特活)市民社会創造ファンド理事長 山岡 義典
3年続いたコロナ禍が、間もなく明けるという。その日は3月13日とか。 「5類」への引き下げで、インフルエンザ並みの扱いになるらしい。 感染がその日で終わるわけではない。政策的対応が緩いステップに移ったにすぎない。 でも気分は一気に変りかねない。気をつけながら変えていかねばならない。 この3年間で失ったものは多い。まず多数の生命。 先日、100年前にウイーンで活躍した若き天才画家、エゴン・シーレの美術展を観に行った。 スペイン風邪で、妻に数日遅れて28歳の命を閉じたという。 生き延びていたら、どんな画業を展開していたか、世界の美術史は大きく変わっていたかもしれない。 しかし若き天才の命だから大切というわけではない。 年齢に関係なく、能力に関係なく、社会的な地位にも関係なく、大切なのはすべての命である。 その大切な命が多数失われた。 我が身の命は残っても、家族を失い、隣人を失い、職を失い、健康を失い、人間関係を失なった者は遥かに多い。 失ったものは多いが、生き延びた者には得たものもあったはずだ。 それは何か、それを数えあげ、それをこれからの社会でどう活かしていくか、考えていく責任がある。 取りあえず誰でもが思いつくのは、身近な体験からのオンライン慣れや、それに基づく在宅での仕事慣れだろう。 それはコロナ禍の贈り物、今後の社会への大切な遺産として、もっともっと磨きをかけて活かしていきたい。 今年の年賀状に、「久しぶりにお話しを伺いました」と遠方の旧知から、何枚もの思わぬ書き添えをいただいた。 昨年はオンラインで何回か講演をしたが、そのどれかを視聴していたらしい。 「彼も聴いててくれたんだ」と嬉しくなる。リアルな講演とは異なる効果といってよい。 確かにオンラインでは心情の起伏や微妙な言い回しは伝えにくい。しかし浅く広く情報を伝えるには効果的だ。 講演だけでなく通常の会議にしても、当初はぎこちなく戸惑い勝ちだったが、3年も経つと結構慣れて、便利で頼りすぎる。 これからは、以前の「対面の慣れ」を回復するとともに、「新しい慣れ」から何を継承し、オンラインとリアルを混ぜ合わせた効果的でハイブリッドな対話の文化や生活慣習を、どう組み立て創造していくか、それが重要だろう。 それは別に公益の世界に限ったことではないが、とりわけ民間独自の公益の立場から、オンラインによる情報交流の適否や功罪の評価を含め、これからの人間関係や社会関係の築き方を抜本的に見なおす取組みも、始まってほしい。 3年前には思いもつかなかった楽しくも活気ある世界像が、リアリティをもって見えてくるかもしれない。 勿論、公益の立場からはコロナ禍の社会的後遺症への対応が最優先課題ではあるが。