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コロナで問われる文化政策と「公益性」

(公財)セゾン文化財団 理事長 片山 正夫


今回のコロナ禍にあって、国や地方自治体は、芸術家/団体の支援を目的とした補助金の給付を積極的に行っている。
その規模はこれまでの感覚からすれば、まさに巨額といってよい。
たとえば、文化庁では昨年6月の第二次補正で500億円規模の「継続事業支援」を打ち出し、今年に入って(年度は昨年度)さらに第三次補正で455億円の予算をコロナ支援に計上した。

文化セクターの受けたダメージを思えば、こうした支援は当然あるべき措置といえるだろう。
しかし一方で、その配分については、スピードを重視したこともあるだろうが、やや「何でもあり」の感も禁じ得ない。
この状況だから仕方ないではないかという意見もあるだろうが、事はそれほど簡単ではない。
わが国の公共文化政策がこれまで曖昧にしてきた問題と、実は大きくかかわっているからだ。

そもそも、文化・芸術の振興を目的とした公的資金は、欧米の伝統的な考えからすれば、広大な文化・芸術セクターのうち、「公益性」を有した「非営利」の団体や活動に対して投入されるのが原則だ(現在はもちろんそれ以外の場合もあるが)。
だがわが国では、ここの線引きがもともと極めて不明確であった。
もちろんこれには、日本特有の背景もある。

たとえばわが国では、ハイ・アートと大衆芸術/エンタテインメントとの境界が欧米ほどはっきりしておらず、近年はそのボーダーがますます見えづらくなっている。
また、伝統芸能における家元制度のように、営利/非営利の区分になじみにくい独自のシステムも存在している。
そのため、明確な輪郭を伴った「非営利セクター」が形成されていない。

一方で、非営利法人制度が今のように整備される以前は、実質的な非営利活動が営利法人や任意団体によって担われてきたケースが多く、その状況は今も続いている。
さらに舞台芸術についていえば、大規模な民間非営利団体が極めて少ないため、一定規模以上の公演やイベントは、どうしても営利法人が担うことになる。
事実、芸術文化の振興という観点からみても、営利法人の果たしてきた役割はとても大きいのだ。
これらのことから、各種の補助金・助成金の出し手は、営利法人をその支給対象に加えることにあまり抵抗を感じてこなかった。

今回のコロナ関連の補助金は、個人を対象にしたものも多いが、その場合、さらに線引きは難しい。
「ピアノ教師だが時々地域でコンサートもする」といった例のように、個人にはもともと営利も非営利もない。
だから生活支援との区分がつけにくいのだ。
フェローシップ等を除いて欧米で芸術家個人を対象にした公的支援が少ないのも、そこに理由の一端がある。

さて、このように「非営利」という要件が必ずしも役立たないとなると、当該活動に「公益性」があるかどうか(この点は要件として譲れないだろう)が、公的支援の対象に含めるにあたっての、残る大きな判断基準となる。
しかしこの線引きがさらに難しい。

公益法人における「公益目的事業」の認定の仕方に倣えば、文化及び芸術の振興を目的とし、不特定・多数に開かれていれば、すなわち「公益性」がある事業ということになる。
ただ、これではほとんどの活動が該当してしまう。
(「チェックポイント」の「自主公演」の項を見ると、「質の確保・向上の努力」も一応条件になってはいるが、それをしていないアーティストはいないだろうから)

もっともこれは法人の公益認定の話だから、できるだけ幅広に認める方向で考えるべきであり、このくらいの基準がむしろ好ましいといえる。
だが、文化政策の一環として税を投入するとなると、同じ「公益性」でもハードルは数段高くする必要がある。
つまり、厳格な「質」の査定が行われなければならない。
その際重要なのは、コロナ禍の下にあって、投入する公的資金の「量」を拡大させる理由はあっても、投入先の「公益性」を認定する基準まで平時と違える理由はないということだ。
基準はあくまで、その活動がなくなった場合、それが社会にとっての損失であると確信できるかどうかである。

もちろん、どのような芸術家も、文化関連事業に携わる多くの人々も、それ以前に一市民、一事業者であり、それぞれの生活を続けていかねばならない。
だから、必要の度合いに応じて相応の支援が受けられるべきなのは当然だ。
だが、その話と文化政策を区別なく語ってよいのか?

そういうわけで、私は最近一部でみられる「緊急時だから対象の範疇や質は厳格に問わない」式の゛文化・芸術支援”にはかなり違和感を覚えるのだが、考えてみるとこれは、われわれがこれまで、文化・芸術とは善きものというばかりで、それが宿す「公益性」とは何なのかという問題に関して突っ込んだ議論を避けてきた帰結のようにも思う。
「コロナで文化・芸術が危機だ。思い切った支援を」と叫ぶことも大事だが、いまは、文化・芸術のどのような「公益性」に着眼し、何を対象に(たとえばエンタテインメント産業との切り分けをどう考えるか)支援プログラムを構築していくべきかを整理する好機ともいえる。